公開日:2026年2月5日

フェミニズムとエイズ危機の交差点としての80〜90年代イギリス美術:トレイシー・エミン、サラ・ルーカス、ギルバート&ジョージらの実践から(文:伊藤結希)

「YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展が東京・京都で開催されるのに合わせ、YBA時代の美術をフェミニズムやクィアの視点から再検討する。

トレイシー・エミン マイ・ベッド 1998  © Tracey Emin Photo credit: Courtesy The Saatchi Gallery, London / Photograph by Prudence Cuming Associates Ltd *「Tracey Emin: A Second Life」 展(テート・モダン)が 2月26日〜8月30日に開催

*「特集:YBA 90s英国美術は、いま何を語るのか」──YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と、それを生んだ90年代という時代を今日の視点で振り返る、Tokyo Art Beatの特集シリーズ。展覧会「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」の開催にあわせて、90年代という特異点を、アートにとどまらない現代の多様な視点で見つめ直す。


身体のポリティクスとしての“YBA & BEYOND”

YBA(Young British Artists、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)は、1990年代のイギリスで頭角を現わしたアーティストたちのことを指す。ダミアン・ハーストを筆頭に、その表現や作家としてのあり方はセンセーショナルなものとして世界のアートシーンに大きなインパクトをもたらした。しかし、こうしたYBA旋風や、YBAを中心とするイギリス現代美術史観から、取りこぼされてきたものとはなんだったのか——。本稿では「YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展(国立新美術館 2月11日〜5月11日、京都市京セラ美術館 6月3日〜9月6日)の開催を機に、現代の視点からYBAのアーティストをはじめとする同時代の表現について再考する。代表的な「YBA」の美術とみなされる表現を特権的に扱わず、主にフェミニズムやクィア理論をもとにした「身体のポリティクス」の観点から、いくつかの代表的な作例を辿ってみたい。筆者はロンドン在住の美術批評、伊藤結希。【Tokyo Art Beat】

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1990年代のイギリス美術はYBAだけではない?

1990年代のイギリス美術は、YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)を中心に語られてきた。とはいえ、YBAに共通する造形的特徴や主題はない。むしろ彼ら/彼女らを強く結びつけていたのは、ロンドンを拠点とする同じ大学、同じギャラリー、同じコレクターといった制度的ネットワークである(*1)。

そしてYBAは、ダミアン・ハーストというスターを中心に、(例外はありつつも)白人・ロンドン中心主義的なごく限定的な「イギリス像」を補強し、さらにはトニー・ブレア政権下の「クール・ブリタニア」と結びつくことで、90年代イギリス美術のカノンとしての立場を揺るぎないものにした(*2)

ダミアン・ハースト(1996)

ただし、そのような正典化は、同時代の複数の実践——とりわけクィアブラックをめぐる表現——を相対的に見えにくくした。たとえば、ハマド・バット(Hamad Butt)はその典型的な例だ。ハーストと同時期にゴールドスミス・カレッジに在学していたにもかかわらず、南アジア系、ムスリム、ゲイという複合的なアイデンティティを持つ彼は、YBAの系譜に連なるどころか、長らく見過ごされてきた(*3)。

ハマド・バットのポートレイト

また、1989年にはブラックアートの記念碑的展覧会「もう一つの物語:戦後英国のアフリカ系―アジア系作家(The Other Story: Afro-Asian Artists in Post-war Britain)」が開催され、ルベイナ・ヒミドソニア・ボイスなど、明確にフェミニズムを志向する女性のブラックアーティストが参加していたが、彼女たちが脚光を浴びるようになったのはごく最近の出来事だ 。すなわち、YBAを追うだけでは、90年代のイギリス美術が持つダイナミズムを十分に把握することは叶わないのである。

ソニア・ボイス ディボーショナル・ウォールペーパー・アンド・プラカード 2008-20 撮影:編集部 *「MAMプロジェクト034:ソニア・ボイス」が森美術館にて3月29日まで開催中

そこで本稿は、周縁化されたアーティストを論述して付け加えるのではなく、中心の語りを内側から揺さぶる方法をとりたい。YBA発のフェミニズム表現(ジリアン・ウェアリング、トレイシー・エミン、サラ・ルーカス)カノンの外側に位置するエイズ危機への応答(デレク・ジャーマン、ギルバート&ジョージ)を、「身体にまつわる表現」という同じ軸で論じることで、YBA内外の接続を試みる目論見だ(*4)。そうすることで、より複雑で厚みのある1980〜90年代イギリス美術の一端を示せるだろう。

ジリアン・ウェアリング——女が公共の場で踊るとき

まずは、写真と映像を主な表現手段とするジリアン・ウェアリングを見ていこう。初期代表作《ダンシング・イン・ペッカム》(1994)は、ゴールドスミスからほど近いロンドン南部ペッカムのショッピングモールを舞台に、作家本人がひとり黙々と踊り続ける映像作品だ。彼女は頭の中に流れる音楽に合わせて身体を揺らしており、映像に音楽はない。聞こえるのは足音や館内のざわめきといった環境音だけだ。

ジリアン・ウェアリング《ダンシング・イン・ペッカム》1994年 © Gillian Wearing, courtesy Maureen Paley, London; Regen Projects, Los Angeles and Tanya Bonakdar, New York 「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」東京会場出品作品

活気あふれる日常空間で、音楽不在のまま踊る女性の姿は端的にいって異様だ。奇異の目で見る者、見て見ぬふりで通り過ぎる者、あるいは一瞬だけ盗み見て視線を逸らす者など、通行人の反応によって、その異様さは裏付けられている。そして、この「異様に見える」状況そのものが作家の狙いである(*5)。自宅など私的空間では問題視されない身振りが、公共の場では不適切になりうる。言い換えれば公共空間には、許容される/されないふるまいが暗黙のうちに存在しており、ウェアリングはその境界線を意図的に踏み越えることで、公共空間が要請する「望ましい身体」の規範を暴いているのだ。

加えて、本作が女性の身体によって遂行されている点は決定的だ。すなわち、この映像で見えてくる「異様さ」は、身振りそのものだけでなく、女性の身体に結びついた規範によっても形作られている。たとえば「ヒステリー」という語が、歴史的に女性の感情や逸脱を不適切とみなす性差別的なラベルとして機能してきたように、女性の逸脱は男性以上に厳しく取り締まられる。というのも、女性は公の場では、品よく慎ましく、感情を抑えてセルフコントロールされているべきだという男性とは異なった評価軸でジャッジされる傾向にあるからだ。したがって、本作が暴くのは、一般的な意味での「望ましい身体」というよりも、女性に対してとりわけ強く課される「望ましい身体」の条件であるといえる。

ジリアン・ウェアリング

トレイシー・エミン——私の経験を告白する

さて、社会実験的な性格の強いウェアリングとは打って変わって、トレイシー・エミンは作家自身のパーソナルな経験を公の場で告白する。その象徴的作品が《私が一緒に寝たすべての人たち 1963-1995》(1995)だ(*6)。作家がそれまでの人生で「一緒に寝た」人物の名前を青いテントの内部にアップリケで縫い付けた本作は、しばしば性的遍歴の告白として誤解されてきた。しかし実際に記されているのは恋人に限らず、家族や友人、はたまた暴力を振るった相手、さらには堕胎した双子をも含む。

「センセーション」ブルックリンミュージアムでの巡回展(1999〜2000)の会場風景より、右がトレイシー・エミンの《私が一緒に寝たすべての人たち 1963-1995》(1995) 出典:Brooklyn Museum, No restrictions, via Wikimedia Commons

エミンはそれらを「縫う」という時間と手間のかかる行為を通じて、痛みと親密さの両方を抱え込み、自身を形作ってきた関係性の総体として記録する。家庭的な手仕事として女性性と結び付けられ、絵画や彫刻より劣るとみなされてきた針仕事をファインアートに応用する動き自体はエミン以前から存在していたが、YBAの作家のなかで、「縫う」を表現の中核に据えたのはエミンがほぼ唯一であり、その実践は特異性を放っている。

トレイシー・エミンの《私が一緒に寝たすべての人たち 1963-1995》(1995)の内部 出典:Wikimedia Commons

さらに《私が一緒に寝たすべての人たち 1963-1995》は、鑑賞者をテントの内部へと誘い込み、パブリックな場にプライベートな空間を出現させることで、告白を成立させる試みでもあった。そしてこの試みは数年後の《マイ・ベッド》(1998)において、より挑発的なかたちをとる。くしゃくしゃの寝具、抗うつ剤、空の酒瓶、下着、吸い殻、コンドーム、体液を想起させる痕跡——それらは、つい先ほどまでエミンが横たわっていたかのような気配を残す(*7)。

トレイシー・エミン マイ・ベッド 1998  © Tracey Emin Photo credit: Courtesy The Saatchi Gallery, London / Photograph by Prudence Cuming Associates Ltd *「Tracey Emin: A Second Life」 展(テート・モダン)が 2月26日〜8月30日に開催
トレイシー・エミン《マイ・ベッド》(1998)の展示風景

さながら身体不在のセルフポートレートともいえる本作が揺さぶるのは、女性の身体に向けられがちな2つの期待である。ひとつは、清潔で、きちんとしているべきだという期待。もうひとつは、心の不調や依存、性にまつわる経験は個人的なこととして表に出さすべきではないという期待だ。マイ・ベッド》は、等身大の自分と自らが直面している現実を、語るに値するものとして公共の場に差し出すことによって、私的な問題を女性の身体にまつわる政治化されうる問いとして投げかける。

トレイシー・エミン

サラ・ルーカス——まなざされる身体へのカウンター

エミンが自身を代表しながら女性の経験を公の場で告白をするのに対し、サラ・ルーカスはメディアに流通する性差別的な女性表象を戦略的に利用することで、旧来的な女性像に抗う。

たとえば《セブン・アップ》(1991)は、「毎日だって手に入る(You can have it every day)」と書かれた小見出しのもと、7人のトップレスの女性たちが並ぶ卑俗なタブロイド紙を素材にしている。ルーカスはその紙面を大きく引き伸ばし、ギャラリー空間に移して展示した。この「拡大」と「場所の移動」という単純な操作によって、日常の大衆文化では当たり前のように消費される性的イメージが、撹乱される。つまり、見る側は女体をまなざす快楽から引き離され、むしろそこに埋め込まれた男性優位の視線——性的対象化に伴う暴力や居心地の悪さ——を意識せざるをえなくなるのだ。

サラ・ルーカス セブン・アップ 1991 © Sarah Lucas

そして、かの有名なポートレート《目玉焼きのあるセルフ・ポートレイト》(1996)は、男性が女性をまなざすという前提に基づきながら、ジェンダーと性表現を攪拌するひねりを加えたという意味で、《セブン・アップ》のアイディアを発展させた作品だ。本作でルーカスは、椅子にどかりと座り、脚を大きく開き、無愛想にカメラを睨みつけるといった男性性を模倣するいっぽう、胸に置かれた目玉焼きによって女性性を強調し、「マッチョな女性」という両義的なジェンダーを演じている。女性らしからぬ女性の身体をまなざすとき、男性の欲望は混乱し、宙吊りになる。

サラ・ルーカス 目玉焼きのあるセルフ・ポートレイト 1996 スコットランド国立美術館蔵 © Sarah Lucas, courtesy the artist and Sadie Coles HQ, London Photo:Antonia Reeve.

さらに目玉焼きは、《セブン・アップ》がまさにそうであったように、欲望の対象として記号化される乳房というパーツを、文字通り「食べられるもの(=消費されるもの)」として可視化する。同時にそれは、必ず女性の胸元へ目を向ける男性鑑賞者の欲望の視線を嘲笑う効果をも持つ。すなわち、《目玉焼きのあるセルフ・ポートレイト》は、女性が欲望される身体として振る舞うことを拒否しつつ、その構図を作家自ら引き受けて戯画化することで、男性が女性を客体として消費する権力構造そのものを不安定化させる。こうしたルーカスの作品にみられる批評性は、「男性のまなざし」へ対する鋭いカウンターだといえるだろう。

YBAの女性たち

このように、ウェアリング、エミン、ルーカスはいずれも、作家自身の身体や感情を通じて、女性の身体をめぐる視線や語り、消費の構造に挑戦してきた。70〜80年代の英米圏フェミニズムが、身体の客体化を避けるため身体表象に慎重であったのに対し、90年代の彼女たちは、身体を前面に押し出すことで、新たなフェミニズム表現の可能性を切り開いたのである(*8)

しかし注意したいのは、ウェアリング、エミン、ルーカスらが必ずしも自らフェミニスト・アーティストを名乗っていたわけではない点だ。往々にしてフェミニスト・アートは、白人中流階級女性を前提に成り立っており、白人女性の取り組みは容易にフェミニズム的実践として回収されるいっぽう、人種・階級・性的指向といった交差性を伴うフェミニズム実践は周縁化される非対称性がある(*9)。ゆえに、彼女たちの作品をフェミニズム的に読むことは有効であるものの、1990年代イギリスにおけるフェミニズム表現の代表と見なすことにかんしては慎重であるべきだろう。

サラ・ルーカス 煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ) 1999 テート美術館蔵 © Sarah Lucas. Courtesy Sadie Coles HQ, London

セクション28とエイズ危機

さて、彼女たちが身体を語る表現を拡張していたのと同時代のイギリスにおいて、クィアな身体を公の場で語ることは、より切実で、かつ制度的に困難な状況に置かれていた。

こんにちのイギリスは、LGBTQ+専門美術館を擁するなど、セクシュアルマイノリティヘの理解が進んだ国として認知されているが、それはごく近年になって成立した状況にすぎない。ソドミー法をはじめ、イギリスには長らくゲイ男性を犯罪者扱いしてきた歴史がある(*10)。そして、その差別を2000年代初頭まで引き延ばしたのが、1988年にサッチャー政権が制定した「セクション28」である(*11)。この悪名高い法律に含まれる「自治体や教育現場による同性愛の促進を禁じる」という曖昧な文言は、クィアに関する言説を萎縮させ、広範な自己検閲をもたらした(*12)。

さらに悪いことに1990年代にエイズ危機が進行する。非異性愛者の身体は感染・汚染・危険のイメージと結びつけられ、深刻なスティグマに晒された。すなわち、女性の側では、身体を公の場で語ることが保守的なジェンダー規範への批判として機能しえたのに対し、クィアの側では、語ることそれ自体が、社会的排除のリスクを背負う行為だったのである。

デレク・ジャーマン——クィアを再定義し、自己を肯定する絵画

こうした状況で、HIV陽性を公表し、エイズに正面から応答する作品を制作したデレク・ジャーマンは同時代のイギリス美術のなかでも例外的存在だ(*13)。

1992年、マンチェスター市立美術館で開催された個展「クィア」で発表した新作絵画の多くは、同性愛嫌悪を煽る見出しが躍るタブロイド紙を支持体に制作された。たとえば「M&S(英スーパー)のパイにエイズ血液混入計画 (AIDS Blood in M&S Pies Plot)」、「学校に有害図書:生徒がゲイカップル写真を目にする(Vile Book in School: Pupils See Pictures of Gay Lovers) 」のように、人々の恐怖を煽り、偏見に満ちた言葉が刷られた紙面をキャンバスに敷き詰め、その上から絵具を荒々しく塗り重ね、指で絵具を拭い取って文字を刻みつけた。言い換えれば、ここでジャーマンが行うのは、世間一般に流通する憎悪の言説に反発し、言い返す絵画制作だ。

デレク・ジャーマン クィア 1992 Courtesy of Keith Collins Will Trust, Manchester City Galleries

なかでも《クィア》(1992)は、タブロイド紙を使わずに、しかし同じプロセスによって制作された絵画である。画面を支配する赤は、感染や汚染と結びつけられ恐怖の対象となった血液を強く喚起させ、その血を拭うかのようなグラフィティ的な筆致で、「QUEER」という単語と大きなハートが刻まれている。これは、何かを言い返すというよりも、当時非異性愛者を差別する意図でタブロイド紙を含む公の場で多く用いられていた「クィア(変態)」という侮蔑語を、恥の烙印としてではなく、ポジティブなものとして自分たちの側へ引き戻す言葉の奪還として理解できよう。それは、自らの生き様と身体を肯定する行為であり、差別への抵抗であり、「クィアだから何だ?」と問いかける挑発でもある。

実際、同展を担当したキュレーターは、ゲイの同僚が展覧会タイトルに異議を唱えていたことを回想している(*14)。それは、まさにこの時期「クィア」という言葉が、いかに屈辱的で、侮蔑的で、当事者たちを深く傷つける言葉だったかを示唆している。ジャーマンは、当事者全員がこの言葉を受け入れる準備が整っていないことを承知のうえで、それでもなお、エイズ危機の只中で沈黙を強いられてきた身体と生を肯定するために、あえてその語を絵画という形式で公共圏へ投げ返したのだ。ゆえに《クィア》は、侮蔑語が誇りの言葉へと変移してゆく、その文化的転換の震源地に位置する絵画だといえる。

デレク・ジャーマン

ギルバート&ジョージ——プライベートを語らないという選択

ギルバート・プロッシュとジョージ・パサモアによるアーティスト・デュオのギルバート&ジョージは、1989年にHIV/エイズ支援団体に売上を寄付する展覧会「For AIDS」を開催し、そこで全25点の「For AIDS Pictures」(1988)シリーズを展示した。

ギルバート&ジョージ ディック・シード 1988

なかでも《ディック・シード》(1988)は、タイトル自体が精液を強く連想させる直裁的な作品だ。画面中央の勃起した男根の先端には、スーツ姿の豆粒ほどのギルバートとジョージが両者の視線が交わるように立ち、モノクロ処理を施された彼らの白いスーツは、彼ら自身を「種=精子」の比喩として読ませる。背後で炸裂する何か——出会いを象徴する火花なのか、射精の隠喩なのかはわからないが——は、明らかに男性同士の親密さを仄めかしている。こうした偏見や嫌悪の対象を意図的に取り上げ、過剰さとユーモアを武器に社会へ対抗する戦略は、ルーカスの戦略と通じるものがある。

ギルバート&ジョージ 「For AIDS Pictures」シリーズ 1988

もっとも、このシリーズには「従来の作風と変わらず、エイズ特有の表現にはなっていない」という批判がある(*15)。たしかにシリーズで一貫して血液や性器など直接的な性的イメージは現れるが、HIVをめぐる制度的・社会的状況に対してメッセージを伝えることや、本人らの経験を語る要素はジャーマンと比べて希薄である。

しかしこのとき我々は、ギルバート&ジョージが長年にわたり、私生活やセクシュアリティを公に語らず活動してきたことの意味を考えなければならない。ふたりがゲイパートナーであることは概ね広く理解されているが、彼らはゲイの代表者として位置づけられることを拒み続けている(*16)。つまり、エイズ特有の表現から距離を取るというのは、ゲイ・アートとして作品を規定されないための、意図的な選択だった可能性がある。

その観点から考えるならば、「For AIDS Pictures」は、自身のプライベートを語る行為とは別の——チャリティという公的実践を通じて(それでも自らの身体イメージを媒介にしながら)——エイズ危機の視覚文化へ介入しようとする試みだったと評価できるだろう。そして、それは当時の彼らができうる最大限の抵抗で、関与の方法だったのだ。

ギルバート&ジョージ

フェミニズムとエイズ危機の交差点

以上、駆け足ながら5人の作家を取り上げた。ここから見えてくるのは、フェミニズム表現とエイズ危機へのレスポンスが、いずれも「身体が公共圏でどのように可視化され、いかに語られ/語られないのか」という同時代的な問題系の別の局面として交差している点である。

ウェアリング、エミン、ルーカスの三者とジャーマン、ギルバート&ジョージの二者は、世代も立場も性別も異なる。しかしながら、彼ら/彼女らはいずれも、程度の差やアプローチの違いはあれど、身体をめぐる経験を私事に属するものとして封じ込める力に抗い、語るにたる存在として自らの身体を公共の場に押し戻す動きを共有していた。こうした横断的な読み直しを通じて、YBA一辺倒の物語では見えにくい90年代イギリス美術の多角的な様相が立ち上がってくるだろう。

*1——こうした背景を踏まえてYBAはメディア向けに作られた現象にすぎないと主張するJulian Stallabrassは、軽い高級美術(High Art Lite)という概念を導入することで、YoungでもBritishでもない多様なアーティストを含めた1990年代イギリスアートシーンをとらえようとした。Julian Stallabrass, High Art Lite: The Rise and Fall of Young British Art (Revised and Expanded edition), (London: Verso Books, 2006), pp.2-3.
*2——Rosemary Betterton, ‘‘Young British Art’ in the 1990s’, David Morley and Kevin Robins(eds.), British Cultural Studies: Geography, Nationality and Identity (Oxford: Oxford University Press, 2001), p. 291.
*3——近年再評価が進む。生きたハエの生と死のサイクルを見せるバットのインスタレーション作品《Transmission》(1990)は、同じくハエを用いたハーストの《A Thousand Years》(1991)の元ネタだと言われている。
*4——本稿では「テート美術館―YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展で展示された作家を対象としたため、クィアの論及が白人ゲイ男性に偏っていることをあらかじめ断っておきたい。なお同時期のイギリスには、異なる人種的・文化的背景をもつクィア表現が存在していた。たとえば、ブラックのゲイの欲望を表現したアイザック・ジュリアン(Isaac Julien)の映画『Looking for Langston』(1989)、デリーのゲイ男性たちの親密な関係を可視化したスニル・グプタ(Sunil Gupta)による写真シリーズ《Exiles》(1986–87)などが挙げられる。また、レズビアンの欲望とセーファーセックスの両立を表現した写真家テッサ・ボフィン(Tessa Boffin)の《Untitled no.1-5》(1989) も重要な作品だろう。
*5——Donna De Salvo, ‘Donna De Salvo in conversation with Gillian Wearing’, Gillian Wearing, (London: Phaidon Press, 1999), pp.26-27.
*6——YBAを支えたコレクターのチャールズ・サーチが所持していたが、2004年に保管倉庫の火事で焼失。
*7——ただし構成物は展示ごとに変更され流動的であることが指摘されている。ロンドンの展示では、使用済みコンドームや体液が付着したシーツなどが過剰な注目を集め、スキャンダル化した。Deborah Cherry, ‘Twenty Years in the Making: Tracey Emin’sMy Bed, 1998–2018’, Alexandra Kokoli and Deborah Cherry (eds.), Art Into Life: Essays on Tracey Emin (London and New York: Bloomsbury Publishing, 2000), pp.48-51.
*8——Amelia Jones, ‘An ‘Other’ History: Feminist Art in Britain Since 1970’, Phoebe Adler (ed.), Contemporary Art in the United Kingdom, (London: Black Dog Press, 2013), pp.178-180.
*9——ミシェル・ウォレスはリンダ・ノックリンの『なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?』の白人中流階級主義的な側面を批判し、黒人女性はジェンダーと人種で二重の意味で差別され、フェミニズムの枠組みのなかでも見落とされやすいと主張する。Michele Wallace, ‘Why Are There No Great Black Artists? The Problem of Visuality in African American Culture’, Wallace, Dark Designs and Visual Culture (Durham and London: Duke University Press, 2004), pp. 184-194.
*10——たとえば、フランシス・ベーコンが1950年代前半にホモエロティックな絵画を発表した際、警察の介入を懸念した画廊オーナーがその一部を隠して展示したという逸話がある。これは、当時のイギリスで男性同士の同性愛行為が犯罪扱いされていた現実を端的に示している。その後1967年の性犯罪法で、21歳以上の男性同士の私的な場での同性愛行為がイングランドとウェールズで合法化。Michel Peppiatt, Francis Bacon in the 1950s (New Haven and London: Yale University Press, 2006), p.31.
*11——2003年(スコットランドは2000年)に廃止。
*12——教育現場では同性愛についての情報提供が乏しくなり、当事者の若者が孤立した。また、政府の性教育ガイダンスは、伝統的家族観を前提として同性愛を否定的に扱った。Vicky Iglikowski-Broad, ‘Section 28: impact, fightback and repeal’, The National Archives, https://www.nationalarchives.gov.uk/explore-the-collection/stories/section-28-impact-fightback-repeal/ (2026年1月29日閲覧)。
*13——アメリカとは異なり、エイズ危機の最中にHIV陽性を公表したイギリスのアーティストはほぼいない。イギリス美術史におけるHIV /エイズに対する応答の詳細は次を参照。Theo Gordon, ‘Ecstatic Antibodies: Art, Activism, and HIV/AIDS in “British” Art History’, British Art Studies: Queer Art in Britain since the 1980s, (London and New Haven: Paul Mellon Centre for Studies in British Art and Yale Centre for British Art, 2025). https://doi.org/10.17658/issn.2058-5462/issue-27/tgordon
*14——Jeffrey Horsley, ‘Queering the City: Manchester 1992’, Derek Jarman: protest!, exhibition catalogue (London: Thames&Hudson, 2020), p.213.
*15——Charles Darwent, ‘How Did British Artists Respond to The AIDS Crisis’, Apollo, 28 November 2022, https://apollo-magazine.com/aids-crisis-british-artists/ (2026年1月29日閲覧)
*16——Nicholas Wroe, ‘Gilbert&George: Lives in art’, The Guardian, 2 March 2012, https://www.theguardian.com/culture/2012/mar/02/gilbert-george-london-pictures-interview (2026年1月29日閲覧)

伊藤結希

いとう・ゆうき

伊藤結希

いとう・ゆうき

いとう・ゆうき 美術批評。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程(美学)および、University of Birmingham MA History of Art (British Art Pathway)修了。現在はフリーランスで美術メディアに寄稿。専門は1945年から現代のイギリス美術。フランシス・ベーコンを中心に戦後イギリス絵画における男性性表象について、および50〜60年代のアメリカとイギリスにおける抽象表現の交点について研究している。