「眠る木」より、《沖縄県 北谷町 美浜》
目まぐるしい都市の変化のなかで、建物が替わっていても、以前に何があったか思い出せないことがある。横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の「あざみ野フォト・アニュアル2026 上原沙也加 たとえすべての瓦礫が跡形もなくきれいに片付けられたとしても」(1月24日〜2月22日)は、そんな見えない風景の読み解き方をさりげなく教えてくれる。
横浜市民ギャラリーあざみ野では、毎年、横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展と写真表現の現在を切り取る企画展の2本立てからなる「あざみ野フォト・アニュアル」シリーズを開催している。今回の企画展に選ばれたのは、1993年沖縄県生まれの上原沙也加。「VOCA展2024 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」でVOCA奨励賞、大原美術館賞を受賞するなど、近年評価の高い気鋭の写真家だ。上原へのインタビューを交えて展覧会をレポートする。

東京造形大学で写真を専攻した上原は、卒業制作で沖縄を撮影するようになり、2016年卒業後、改めて沖縄で制作に取り組み始めた。沖縄の外に出てみたくて東京に進学したが、東京で出会う商品化・定型化した沖縄のイメージに違和感を感じ、自身の生活と地続きにある風景とそこに残る歴史の痕跡を写真に残し、見つめ直したいと考えるようになったという。
今回の個展では、約10年にわたり発表してきた4つのシリーズを初めてまとめて展示している。会場を左右に分け、左側には沖縄島(通称:沖縄本島)を写し、写真集にもなっている「眠る木」と、慶良間諸島を旅した「前の浜」、右側には台湾で撮影した「緑の部屋」と「緑の日々」を配置した。カラーからモノクロームへ、光と影を感じながら再びカラーに帰るという構成で、それぞれの場所と時間を旅するように鑑賞できる。

上原は、その土地や歴史に接していくアプローチとして、「写真を撮る」「後から見返す」「持ち帰ったものを再び手に取る」というプロセスを行き来する。「風景がどんなに塗り替わったとしても、声を発さなくても、そこで起こったことは消えない。取るに足らないような細部のものにも、小さな“証言”が残されている」という彼女は、街を歩きながら耳を澄ませるように目に止まったものをひたすら写し、その後再びゆっくり時間をかけて読み込み、写り込んだものを調べたりしながら写真を選び直すという作業を繰り返す。さらに台湾のように生活圏から離れた場所では、お土産品などを持ち帰り、自身の空間としての部屋や、身体の一部である手の中に置き、その手ざわりのようなものを撮影するようになった。
「ひとときの旅であったとしても、それぞれの場所のことを考え続けていると、日常の風景のなかにも複数の歴史が接続していて、実際に自分の生活の深いところでつながっているように感じられました。そうした持続する時間をも作品に内包し、可視化したいと思いました」(上原)
それではいくつか作品を挙げて見ていこう。展覧会は、2016〜22年に沖縄島の様々な場所を撮影したカラーのシリーズ「眠る木」から始まる。沖縄島の面積は広く車移動する者が多いが、上原は路線バスを駆使して路地などを歩く。足を使うからこそ気づく風景が多い。

本展のタイトルを象徴する1枚として、沖縄県立博物館・美術館へ行くモノレールの最寄駅、おもろまち駅のロータリー風景がある。「沖縄戦では激戦地となり、戦後は強制的に土地を接収され米軍基地になった場所です。私が子供の頃は返還されたばかりでまだ街になっていなかったですが、近年は再開発で新しい建物が並んでいます」と上原。


そのように、変化した風景には歴史の消去という側面もある。「眠る木」というシリーズタイトルは、街の至る所にあるギンネムの木に由来する。夜は葉を閉じる様子から、沖縄ではニブイキ(眠る木)と呼ばれる外来種。「破壊の跡をカムフラージュするために米軍が沖縄全土に空から種をまいたと言われていて。私は覆い隠された傷や痛みが消えずにずっと底のほうに眠っているようなイメージを抱いています」。
同展には、軍港のオレンジのライトに照らし出された大きな木の写真がある。また、北谷(ちゃたん)市美浜のアメリカ村で解体される観覧車の写真も。「子供の頃は大きなコカ・コーラのマークがあり、憧れるように見ていました。周囲には映画館やショピングモールもあり、楽しい思い出の場所です。観覧車の跡地に現在はホテルが建っているのを見ていると、複雑な気持ちにもなります。沖縄という主体を抜きに、アメリカ世(ゆ)からやまと世(ゆ)へと光景がすり替わっていく様をもう一度見ているような」(*1)。


次の展示室ではモノクロ写真の新作「前の浜」を初公開している。2025年6月23日(慰霊の日)の前後3日間、自室から慶良間諸島の渡嘉敷島と阿嘉島を旅して帰宅するまでを記録した200枚のスライドショーを上映。壁には写真1枚につき1行、日記のように綴ったキャプションが掲示されている。
自宅からの道で通り過ぎる那覇軍港。歩き慣れない慶良間諸島の島々では、集団自決の跡地、朝鮮人強制動員の慰霊碑など地図上のモニュメントを道標とした。80年前の6月23日、沖縄戦の激戦地、糸満市摩文仁(まぶに)で日本軍の司令官が自決したことで組織的な戦闘が終わった日として制定された慰霊の日。だが実際には終戦を知らない兵士たちのあいだで戦闘や虐殺は続いていた。さらに沖縄では今日に至るまで過剰な基地負担は続き、性暴力事件や米軍機墜落事故、PFAS(有機フッ素化合物)による水質汚染などの被害が続いている。ベトナム戦争や湾岸戦争では加害の立場も担わされてきた。上原は沖縄戦がまだ終わっていないものとして、米軍が最初に上陸した阿嘉島の“メーヌ浜”(「前の浜」の意)に行って帰ってくるという、時間を遡る旅をしたのだ。

さらに台湾で撮影したモノクロのシリーズ「緑の部屋」へ。台湾へは「台北アーツフェスティバル」に呼ばれた2023年から継続して通っている。台湾は琉球と同じ時期に日本に統治されたことや、現在「台湾有事」を口実にして南西諸島で軍事化が進められていることなどを背景に、それ以前から関心があったという。展示は、テキストと組写真による4作品を柔らかなカーテンで区切り、それぞれが小部屋のようになっている。


原住民族が暮らしていた台湾の島々は、オランダ、スペイン、中国、日本と様々な勢力に支配された複雑な歴史を持つ。琉球松が生える日本統治時代の建物「松園別館」を撮影した《幽霊たちの庭》。冷戦時代に米軍の宿舎があり、その後カフェなどに改装された《アメリカの村》。戦前に琉球人集落があった和平島を巡る《平和の島》。戦時中に慰安所としても使われていた軍用倉庫を起点とした《花売りのおばあさん》。「沖縄の状況と重なる場所や、自分がいま感じている痛みにも水脈が続いている出来事を手がかりにしながら写しています」と上原。女性が歴史のなかでどのような立場に置かれ不可視化されてきたか、ジェンダーの観点から、当時挙げられなかった声に耳を澄ますようでもある。


最後は、台湾で旅をした日々の記録をスナップ写真で撮影したカラーのシリーズ「緑の日々」へ。花売りのおばあさんから買った花が、ホテルの部屋で枯れずに咲いている。また、船内から海を見る写真が、戦後の米軍政権下で、沖縄からの移住者が帰りたくても船に乗ることができず、密航船に乗り込んだ時代を想像させる。そうして再び隣島でもある沖縄を写した「眠る木」の部屋に帰ってくる。

沖縄には未だ多くの米軍基地が押し付けられ、様々な被害も後を絶たない。台湾有事が言われるようになり、南西諸島に自衛隊基地が配備され、辺野古の新基地移設工事も進んでいる。
「沖縄戦は過去の切り離された出来事ではなく、かたちを変えながらいまも続いていると感じます。そのいっぽうで、これまで受けてきた教育などを思い返すと、原爆、敗戦、占領と被害の側面が大きく紹介され、植民地支配による加害の歴史に触れる機会が少なかったとも思います。台湾への旅で学び直すことが多く、博物館や資料館などに行くと、それぞれの立場から経験された語りに触れて、気づかされることがあります。自分がどこに立って歴史を見るのか。写真に写された風景の連なりに、複雑に入り組んだ被害や加害の傷跡、積み重なっている時間の層を見つめながら考えたいと思ってきました」(上原)
沖縄と台湾。どちらにも似た風景があることにも気づかされる。「個別に起こった残酷なできごとであっても、共通する暴力的なシステムみたいなものがあり、それぞれの場所で別の角度から見ているように感じることもあります。風景から歴史をたどることは、ただ過去のことを見るというよりも、私にとってはいま生きている世界やこれからの風景を考えることにつながっています」。
大きな歴史と小さな日々、公的な場所と私的な空間。どちらも行ったり来たりしながら考える上原。「ここで何万人亡くなりましたといった数字や記号に置き換えられると、一人ひとりが個別に持っていた日々の時間や尊厳が見えづらくなってしまう。そうした背景を想像するために、部屋の内側の写真とか、テーブルの上のアイスティーとか、自分ひとり分の体で向かい合うような極めて個人的でささやかな時間も写しています」。

「写真は個人的な語りから始められるものでもあり、いまの時代の流れのなかで立ち止まって思考し続けるための抵抗でもあります。写真を作品にするのは時間もかかるし、すぐに届く人は限られているかもしれないけれど、忘却に抗うように長く残るものでもあり、受け取った記憶の継承にもなるかもしれない。写真は言葉とは別の視覚言語を持っているように感じていて、なぜかわからないけれど心に残るとか、その場所の背景や意図がわからなくても、見る人が自分の生活や記憶の断片とふいにつながったり、持ち帰って考え続けたりするようなことになればいいなと。どこかで目に触れたときに、別の時間や場所、他者の痛みへの通路をひらいていくようなものを残せたらいいなと思います」(上原)
花を持つ写真が象徴するように、かつての誰かの証言が、私たち一人ひとりにも手渡されている。
なお、MISA SHIN GALLERYでは、作家自身が選んだプリント作品を取り上げている「前の浜」展が2月28日まで開催中。併せて見てほしい。
1——沖縄には「世(ゆ)替わり」という言葉がある。「アメリカ世(ゆ)」とは、1945年の沖縄戦終結から1972年の本土復帰まで、沖縄がアメリカの統治下にあった時代のこと。「やまと世(ゆ)」とは、1872〜79年に明治政府が琉球王国を廃して沖縄県を設置した「琉球処分」から沖縄戦終結までと、1972年の本土復帰から現代までを指す。復帰時に日米同盟再編により米軍基地が残るなど、絶えず外部に翻弄されてきた沖縄。沖縄民謡の第一人者・嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)の「時代の流れ」でもその複雑な思いが歌われた。