会場風景より、不動茂弥《机上の対話》(部分、1950、京都市美術館蔵) 2月7日から3月22日まで展示
近世以降、京都では四条円山派のような有力な画派があり、徒弟制度によって日本画の伝統が守られてきた。しかし、戦後、急速な欧米化、近代化の波があらゆる文化に影響を与えるなかで、日本画も例外なく、新しい時代の波に向き合い、先陣を切って来るべき時代にふさわしい表現を模索することになった。「日本画アヴァンギャルド」の時代だ。
この展覧会「⽇本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」では、1940年から70年に京都で決起された3つの前衛運動を紹介する。「これが日本画?」と驚きの作品の数々は、若き画家たちが新時代を目指し、自らが立つ「日本画」という枠を粉砕せんと果敢に体当たりしたことの証人だ。
会場の京都市京セラ美術館の東山キューブは現代アートのための展示空間だが、ここに半世紀以上前の日本画の「前衛」の作品が並ぶ光景からは、どんな時代であっても、アーティストたちはその時代の価値観と既存の表現に対して情熱的に行動し、向かってきたということが伝わる。

前衛の動きの最初は、1948年に立ち上げられた団体「創造美術」だった。日本は敗戦国として旧時代の文化や封建的な価値観の見直しを迫られ、画壇のなかからも古いシステムや絵のスタイルへの批判の声があがった。「日本画滅亡論」という言葉まで飛び出すなか、若い画家たちは「世界」に目を向けていた。
創造美術の綱領には「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」とある。若い彼らが学んだ欧米の絵画のなかには、シュルレアリスムやモダンアートもあった。「世界のなかの日本」を強く意識し、日本画にモダンな風を吹き込んだ。
作風だけでなく、画家の活動のあり方も画期的だった。それ以前、日本画家は画塾、画派や、日展などの組織に属して活躍することが常だったが、「創造美術」はそうしたグループから距離を置いた。当時、読売新聞の記者だった井上靖は「若い野心的な芸術家たちの新団体結成の奮は、見ていて美しかった」と記している。


次のムーブメントは、1949年に京都市立絵画(美術)専門学校日本画科の卒業生たちによって立ち上げられた。「パンリアル美術協会」だ。パンは「汎」。保守的な価値観を破り、あまねく現実を絵画に反映する心意気が込められている。

この宣言が勇ましい。一部を抜粋する。
吾々は日本畫壇の退的アナクロニズムに對してここに宣言する 眼玉を抉りとれ。四疊半の陰影にかすんだ視をすて、社會の現質を凝視する知性と、意慾に燃えた目を養う。感傷を踏みにじれ。因の殿堂を破壊して、廣い科學的文化的視野から傳統の力強い生命を發掘し、世界的地盤から古典を再檢討しよう。 温床をぶち壊せ。隠然たる重歴の牙城をなす封建的ギルド機構を打破して、自由な藝術の芽生えを育てよう
自由な芸術を志向したパンリアル美術協会の作品には、シュルレアリスムからの影響をダイレクトに反映、そして、モダンアートに呼応した作品が目立つ。とくに熱いのが、素材の物質性を前に出したミクストメディア表現だ。
展覧会チラシのヴィジュアルにも使用されている大野俶嵩の《緋 No.24》は、現物を見て驚いた。貼り付けた麻布が立体的に飛び出している。「パンリアル」の現実、というコンセプトを体現するために木片、布、建築資材、身辺にあるものたちが動員された。あまりの盛り上げぶりに、「絵画は平面を基本にすべきか否か」という論争が巻き起こったというが、日本画の破壊こそが、新時代の日本画家の使命、と言わんばかりの勢いが横溢する。







パンリアル美術協会が日本画の自由度を大いに拡大したあと、1959年、「ケラ美術協会」が発足する。メンバーは京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)日本画科出身の若手だ。「ケラ」とは、ラテン語で細胞や単位を意味し、宣言書にはこうある。
20世紀後半は宇宙時代だ。地球上の争いのごときは、宇宙からみれば夫婦げんかにすぎない。ましてや日本の、しかもこの中の画壇の動きに至っては、まるで大海に浮かぶ水泡のようなものだ。われわれはこのような画壇の因襲を強烈な情熱で打破せんとする
この宣言書は、京都市立美術大学助教授でもあり理論面に協会に協力した、木村重信が起草した。
時代は60年安保の前夜。若者たちが路上で運動し、社会の動きを扇動することが実感できた時代。画家たちの「細胞が分裂し、拡大するように、この運動があらゆる人たちに賛同される」という理想は高かった。アポロ計画が発表され、創造の世界を現実が超えようとする宇宙時代に、芸術も壮大なスケールで人類未到の境地を妄想できた。


ケラ美術協会創立期のメンバーはパンリアル同人よりも、ひと世代後輩に当たる。ほとんどが同世代の20代で芸大日本画科在学中に知り合った。気の合う仲間どうしで切磋琢磨した結果、素材使いの大胆さにも拍車がかかったのではないだろうか。
ドンゴロス、布だけでなく、油絵具、ビニール塗料、漆、蝋、石膏、工具など、果ては野村久之のように、彫刻作品に展開する作家も現れた。旗揚げの展覧会(1950年7月、京都市美術館)では、異素材の大型作品が30点以上並ぶ壮観な眺めだったという。



前衛画家たちは旧体制を標的にしたが、現在では、公募展に参加しない日本画家も多く、異素材遣いも批判の対象になることはない(むしろ、なりを潜めている)。いまの日本画にある課題は、粉砕すべき古い壁があった時代とは違う。本展で紹介される日本画改革ムーブメントは1970年で一区切りするが、京都での日本画への集団的問いかけの系譜に、2005年京都府京都文化博物館で開催された「日本画ジャック」について書き留めておきたい。
2000年代、アートの話題がコンテンポラリー一色となり、グローバルな時代の中で「日本画」というアイデンティティは揺らいでいた。その問いを共有する13名の作家たちがそれぞれの日本画とそのコンセプトを持ち寄ったオムニバス展だ。このあと、主要メンバーだった三瀬夏之介は「東北画は可能か?」というテーマを展開し、山本太郎は日本画の権威に対して、諧謔的な「ニッポン画」で応えた。船井美佐は、日本画のコンテキストを現代アートの表現に昇華した作風を、いまも発展させ続けている。
令和の日本画はどうか?「日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948−1970」関連展として、「77年後のリフレクションKYOTO 2026」が開催される。京都ゆかりの作家8名がリレー形式で、77年前の前衛作家が打ち立てた「日本画への問い」に応答する。会場の藤井大丸は、1949年、第1回パンリアル展の開催地だった。

「77年後のリフレクション KYOTO 2026」藤井大丸 7gallery
会期:2月6日~5月6日 金土日のみ(休廊日はパネル展示のみ観覧可)
会場:藤井大丸 7gallery
入場無料
山本雄教(美術作家):2/6~8、2/13~15/服部しほり(日本画家):2/20~22、2/27~3/1/ベリーマキコ(美術作家):3/6~8/松下みどり(画家):3/13~15、3/20~22/タナカリナ(画家):3/27~29、4/3~5/藤野裕美子(美術作家):4/10~12、4/17~19/松岡勇樹(日本画家):4/24~26/三瀬夏之介(日本画家):5/1~5/3/クロージングセッション(上記作家全員):5/4~6