松元悠 こちらを向く足(2023/9/5) 2024 リトグラフ・BFK紙 100×80cm
リトグラフ作家・松元悠は、マスメディアが伝える事件の現場を実際に訪れ、被疑者や関係者の姿を自画像として描いてきた。2025年、兵庫県立美術館にて個展「注目作家紹介プログラム チャンネル16 松元悠 夢」とトークイベントが開催。松元は、これまでの作品に加え、当事者や自分自身が見る「夢」について考えた新作を展示した。作家の作品を継続して見てきた美術批評家の安井海洋が本展をレビュー。
それでも、あまりにも貴方たちは
強くてやさしくて、私には天使のようにみえた——松元悠「夢新聞」より
私が彼女について論じるのは二度目になる。一度目は6年前の3月、名古屋のyebisu art laboでの個展のときだった。彼女の作品がリトグラフという印刷メディアを利用しつつ、新聞というマスメディアに自らを比定していると理解し、そのように記した記憶がある。制作の根幹は、当時からまったく変わっていない。ゆえに私が再び彼女を取り上げたところで、とりたてて何か新しいことが語れるとも思えない。しかし6年という歳月を経て、彼女は大きく、私は少しだけ、根元はそのままに成長した。その差分だけでも、電子紙面の片隅を汚すだけの価値はあるかもしれない。

松元悠はメッセンジャーである。私は哲学史に明るくないが、中世ヨーロッパの哲学では天使の存在とその役割が熱心に議論されたが、神からのメッセンジャーであるという見解は一致しているようだ。あるいは預言者もまた、神からのメッセージを人の言葉で伝える人間である。彼等はメディアだといえよう。
メディアとはAとBを媒介するもののことである。日常会話で「メディア」といえば新聞やテレビなどのマスメディアを指すことが多いが、たとえば人の声やにおいも一種のメディアである。現代はインターネットを筆頭とする電子メディアが文字通り世界を席巻しているが、それ以前はテレビ、ラジオと遡り、19世紀には新聞や雑誌などの活字メディアが地球上で最大の情報源だった。多くの人が読みそして書き、活字を通じて言葉を伝えたのである。そのような活字全盛期のさなかに生まれたのが、松元の使うリトグラフだった。
印刷技術としてのリトグラフは、19世紀も間近に控えたドイツにおいて誕生した。すでに多くの文献で論じられているので割愛するが、俳優だったアロイス・ゼネフェルダーが1798年に原理を発見し、その後特許を取得した。現在ではほとんど忘れられているが、当然ながらリトグラフははじめから芸術のための技術だったわけではない。当初はポスターやポストカード(絵葉書)の量産に加え、雑誌等刊行物に入れる図版の印刷が主眼であった。ヨーロッパにも日本と同じく木版印刷はあったが、耐刷数および印刷作業に大きな負担がかかる。リトグラフは木版よりも早く大量に印刷することが可能だったのである。写真の複製技術がまだ発明されていない時代に、活字だけでは補いきれない、図像による視覚情報を読者たちに伝えるのに、リトグラフは巨大な力を発揮した。リトグラフは生まれてすぐ情報メディアの花形に駆け上がったのである。

そして、松元は作家として出発して以来、一貫してリトグラフを使い続けている。19世紀ならともかく、現在ではリトグラフは版画のひとつに数えられる。しかし彼女はこの技法が持つメッセンジャーとしての役割を、はじめから感知していたように思う。初期の彼女の仕事と新聞との親近性については、前稿で述べた通りである。
リトグラファーとしての松元悠が法廷画家になったのは必然だろうか。彼女が卒業した美術大学の出身者のあいだで持ち回りで担当するこのアルバイトを、当初は引き受けるべきか迷っていたという。従来の作品のコンセプトを逸脱し、自らが情報の受信者から発信者になってしまうことを危惧していたのだ。けれども熟考の末、報道者の思考を理解するべく引き受けることを決める。
法廷画を画家自身が所有することはなく、カメラマンたちが撮影してそのまま持ち帰る。
それゆえ画家がそれを展示することはない。また職業倫理上、同じ絵をそのまま描き直すこともしていないだろう。
だが、彼女が出来事と出会ってしまったことに変わりはない。彼女の制作スタイルは、ある出来事を1枚のリトグラフに描くというものである。報道写真のように決定的瞬間を捉えるのではなく、長さを有する時が1枚に集約されるのだから、その描法は山下菊二《あけぼの村物語》さながらの隠喩と構図の魔術である。
隠喩とはレトリックの一種であるが、ここでは松元自身が隠喩の記号となる。実際にあった出来事の人物を自らの肖像画でおきかえるのである。この画中の演技こそ、彼女の身体そのものが出来事のなかの他者を伝達するメディアとなる。
あるときは新聞紙面を通して、またあるときは祖母たちの語りを通して、彼女はいままでにいくたびも自らが出会った出来事を描き・演じつづけてきた。当事者の足跡をたどることもある(マンガ『蛇口泥棒日記』[ナナルイ、2023]に詳しい)。民俗学の踏査、あるいは警察の捜査に似ているがそのいずれでもなく、おそらく彼女にしか見えない風景がそこに横たわっている。かつて一度だけ現地の歩くあとをついていったことがあるが、後日そこから出来上がった作品を前にして、見えている情景のあまりのちがいに愕然としたものだった。
そして今回の個展では、「夢新聞」と称して自分の新聞を発行している。これまでマスメディアで情報を摂取して、その出来事に赴く立場だったのが、とうとう自ら発信する側となったのだ。ただしこれは世間で販売している新聞のパスティーシュとなっており、会場内の版画を見るためのガイドとなっている。この展示空間はメディアとメディアが入れ子構造になっている。

会場の最奥にある小部屋に、紙を4枚合わせた大作がある。黒のみの一版で、さまざまなモチーフがコラージュ的にばらばらに描かれているが、版画の背後からは劇場用のスポットライトのような強烈な照明が当てられており、器具が発する熱で室内は少し息苦しい。
足を描いた作品がもうひとつある。
画中の法廷画家は、なぜ足ばかり凝視しているのか。足の主の顔を直視してしまえば、それはたちどころに「法廷画」となってしまうからだろう。すでに述べたように、法廷画が裁判所の外に出ることはない。いっぽうで、会場で配布した自作の新聞の一面で松元は、これまでの制作なら事件の現場に行っていたはずが、2023年に公判が始まったある事件の現場にだけは一度も行くことができなかったと告白する。松元悠というリトグラファーの名のもとに展示される作品は、もはや当事者を演じることさえ許されない。ただ法廷内を行き交う足たちを見つめるだけである。

今回私は、松元の仕事を通して、足が顔よりも多くを語ることに気づかされた。会場を入ってすぐ、正面の可動壁に1枚だけかかった多色刷のリトグラフ作品《こちらを向く足(2023/9/5)》では、画面の下半分に、木製の柵越しにやはり俯瞰する角度で4人の足が——そのさまざまな靴が描かれる。そして画面の上半分には、足たちの上半身かのように百日紅が濃い桃色の花をつけている。百日紅は街路樹として珍しいものではないから、ここがどこであるかは判然としないが、会場内の他の作品と並べれば、それが裁判所の近くの風景であることが把握される(なお「夢新聞」にもこの場所が裁判所前である旨が記されている)。靴の貴賤はもちろん、まっすぐに歩く足、ためらいがちにとどまる足、左にだけ床に水色が溜まる足、そのそれぞれに、語り出したい感情が込もっている。モデルとなった裁判の事件では被害者数が膨大で、遺族の人数はその数倍にのぼる。

また、4枚の単色リトグラフを組み合わせた大型の作品《それでも貴方たちはやさしかった》では、ばらばらのモチーフがコラージュ的に組み合わされているが、ひとつひとつを目で追っていくと、それらが法廷画家の目に触れたものであることがわかる。そして画面の左上に、黒く大きな足が描かれる。画家との位置関係から察するに、法廷に集った被害者遺族のうちのひとりだろう。言葉や目が感情を訴えることはあるが、画中では足だけが、逡巡しながらも何かに対して訴えるものを感じる。
法は大地から生まれる。人間が陸生生物である以上、法は大地から離れられない。海洋法でさえ、大地の法からの類推で生きながらえているにすぎない。足は法という大地に最も親しく接する部位であり、法と人とをつなぐメディアなのである。
《それでも貴方たちはやさしかった》の、もうひとつの奇妙な点に注目したい。自画像の法廷画家に対して、傍聴席は斜めにこちら側を向いている。しかしすでに述べたように、画家はほんらい傍聴席のひとつに座っているはずである。法廷の空間が画面にコラージュ的に圧縮されているとはいえ、仮にその方向だけは合っているトポロジー空間と見做すなら、画家は証言台から向かって右の弁護人席にいることになる。なぜこのような構図になっているのか。

このフィクショナルな布置は、そのまま松元のリトグラファーとしての姿勢を示している。自画像はスケッチブックの上に浮かびあがっており、手前には鉛筆を握った右手がある。つまりこの作品は法廷画を描くという営みそのものを描いたメタ版画なのである。法廷画家の務めは容疑者、裁判官、弁護人、検事の顔を記録することだが、松元は自身も含む裁判の場全体をリトグラフに起こすことで、マスメディアを通じて裁判を傍聴する“私たち全員”を描いているのである。画家が傍聴席の側に座るのではなく向かい合っているのは、傍聴人のほうを見ているからである。
加えて、画面中央の後頭部の自画像は、多色刷リトグラフの作品《宣告(2024/1/25)》の自画像とほとんど一致している。制作時期の前後関係は不明だが、両者が描き・描かれる関係を有している。さきに新聞と作品の入れ子構造の関係を指摘したが、ここでは作品と作品、作品と作者とが入れ子構造をなす。“私たち全員”に、画家自身もまた含まれているのである。
法廷とは法により人を裁く場であるが、日本の近代法はたとえばイスラーム法のような膨大な判例に基づく安定した法体系と異なり、裁判にあたり基づくべき判例があまりにも少ない。そのため、妥当な判例がない場合は、裁判官という一個人の判断が介入する。日本の法は未成熟で、きわめて属人的な運用がなされているといっても過言ではない。

司法の脆弱性は、そのまま社会の脆弱性に直結する。マスメディアを通して世に溢れる裁判の情報は、民衆の情動を喚起し、憶測で善悪の鉄槌を下さんと欲する人びとを日夜生み出す。つまり裁判の情報とはわれわれの集団的感情を映す鏡だといえる。ここに第三の入れ子構造が現出する。新聞と作品、作者と作品に加え、観者たるわれわれと作品ともウロボロスのごとくひとつの自己を食い合う関係にある。
法廷画家としての仕事を通じて出来事と出会い、そこに映じる社会の縮図を捉え、リトグラフとして印刷する。だが画中の横顔を描く手も版画であり、それを描く現実の松元悠もまたリトグラファーという名のメッセンジャーである。松元を媒介項として生じた3つの構造は、互いに貫入し合っていつまでも回転を止めることがない。
安井海洋
安井海洋